「アスラン…」 隣で眠る君に腕を伸ばして、その頬を起こさないようにそっと撫でる。ん…と小さく唸って擦り寄ってくる君は、今どんな夢を見ているのかな。 僕が、出て来ていればいいのに。 不意に、穏やかな笑みを唇が形作り、小さく僕の名前を呟いた。それだけで、僕も思わず笑ってしまう。こんなにも幸せな気持ちになれるのは、僕の名前を呼ぶのが君の声だから。 幸福論 ゆっくりと手を引いて、ブランケットの中に潜り直す。君が寝返りを打ったせいで、向き合う形になった僕達の隙間は、たった四十cmほどだった。 この距離は決して変わらない。変えない。近付きすぎたら、僕は君を壊してしまうから。君が、僕を壊すから。 「遠いね、アスラン…」 やっぱり間違ったのかもしれない。僕達は、離れるべきじゃなかった。いつまでも、誰よりも近くに居るべきだった。僕にとって一番大切だったのは、紛れも無く君だったのに。どんな事情があるのかも知らずに、それを知ってからも尚、君が戦争に荷担する道を選んでしまったことに対する怒りや戸惑いが先立って、僕は君を傷付けてしまった。 僕が作った溝を、君は一生懸命に埋めようとしたよね。でも僕は、君じゃなくてラクスを選んだ。君が大事に想っていた女性だったのに、それでも君は怒らなかった。 「…ごめんね。」 それでも君は、こんなに近くに居てくれる。謝ることが多過ぎて、僕は直接君にごめんなさいを言えないでいた。自惚れもあるのかもしれない。アスランは僕から離れない、という。 でも、これ以上近付けない。自分で掘った溝は、穴は、僕が思っていた以上に深かった。もう一度、誰よりも傍に居られる存在になるには、もう遅い。 君が僕に感じている微かな恐怖に気付いてしまったんだ、アスラン。君自身も、気付いていないのかもしれない。それを、懸命に考えないようにしているのかもしれないけど、それでも僕は気付いてしまった。君も、僕と距離を置こうとしている。きっとそれは、自分を守るためでしょう? アスラン、君を抱きたい。その唇を奪ってみたい。 でも、それは出来ないね。きっと、僕達は壊れてしまうから。 柔らかな朝日がカーテンの隙間からベッドに差し込み、僕の覚醒を促した。それと同時に感じる、息を殺した気配。顔に触れる温かい何かに、僕は緩く目蓋を押し上げた。 「おはよう…キラ。」 そこは、困ったように笑う君の胸の中だった。知らない間に、身を寄せて眠っていたらしい。内心驚いていたし、体温が上昇するのを感じていたけど、白々しく笑みを向けて、ごめんと言いながら身体を離す。元の位置に戻って上体を起こした僕は、欠伸を零しながら伸びをして身体を解した。 「今日もいい天気だね…おはよう、アスラン。」 少し遅れてしまった挨拶を交わして、未だに寝転んだままの君を見遣る。その頬は、どこと無く赤みを帯びていた。視線はシーツに向けられたまま、僕に向けられることはない。ずき、と心臓の辺りが痛くなった。 「アスラン…?」 思わず出した声は、穏やかに繕ったつもり。もしかしたら、震えていたかもしれないけど。 「変な夢を見たんだ…」 「ふぅん…どんな?」 その肩に、手を伸ばしてもいい?僕が眠る直前まで笑みを浮かべて、名前を呼んでくれた君は、いったいどんな夢を見たの?その幸せを、僕に分けてくれるの…? 小さく笑みを浮かべて目を伏せる君の手が、ベッドについて自分の身体を支えていた僕の手に触れる。ぴく、と微かに身体が強張るのを自分でも感じた。きっと君は、気付いていないと思うけど。 「誰かが…俺の名前を呼びながら、優しく頬を撫でてくれたんだ。俺も名前を呼んだはずなんだが…誰なのか思い出せない。」 「カガリじゃないの?」 駄目だよ、アスラン。僕を揺さ振らないで。 内心の動揺を隠して問い掛けた僕に、君は目蓋を押し上げる。そのままこちらを見た君の、少しだけ寂しそうな緑の瞳は、僕の目蓋の裏にしっかりと焼き付けられてしまった。そんな顔をするのはズルいよ、アスラン。壊してしまってもいいかな、なんて、思ってしまうじゃない。僕達を。 「…幸せな夢だったから、キラにもおすそ分け、だ。」 「ありがとう、アスラン。」 でも多分、僕達はこのまま変わらない。 大好きだよ、君が。君が居るこの世界が、好きだよ。伝えることは、出来ないけど。 「キラ…‥そんな顔をしないでくれ。」 「え…?」 「…もう、俺じゃ‥駄目なのか?」 突然、世界がその色を変えた。そんな顔、と言われても、僕は笑顔した浮かべていないはずなのに、どうして、君がそんな、泣きそうな顔をしているの。 僕の手を取って、君はその手を握って、その掌で自分の頬を包ませた。指先に触れる、温かく濡れたこれは、涙だと思う。ぱらぱらと流れ落ちる横髪のせいで、その表情は隠れてしまった。ふるりと、逞しい肩が小さく震えて、熱の篭った吐息が掌の端に触れる。僕の手を握る君の手も、確かに震えていて、僕は何も言うことが出来なかった。 僕は、また間違ったのかな。君は、もう壊れてしまったのかな。 「…キラ…俺は、お前が‥好きだよ…」 「ア、スラン…」 違うね。君は、今から壊そうとしているんだね、僕達を。距離を0にしようとしている。 駄目だよ、アスラン。僕を揺さ振らないで。 それとも、わざと揺さ振っているの?距離をゼロにしようとしているのは、僕がまた、昔のように、誰よりも君の傍に居てもいい人になったと思ってくれたから? 「お前が、どんなに…離れて行っても、俺を嫌いでも、俺は…ずっとお前が‥好きだったよ…」 「え…‥?」 「わかってたんだ。お前には‥俺が、必要ないことぐらい。」 耳を疑った。瞳が大きく開く。どうして、君はそんな風に思ってしまったのかな。どうして、こんなことになっているのかな。今日も、穏やかに一日が始まるはずだった。二人で朝食をとって、その後、海岸を歩いて散歩をするはずだったのに。天気がいいから、海はとても綺麗に、輝いてて… 「それでも、それでも俺は…!お前の傍に…っ」 顔を上げた君の頬は、涙でぐちゃぐちゃだった。柔らかい濃紺の髪の毛が、濡れて頬に張り付いている。居たいんだ、と続いた声は裏返り、語尾に近付くにつれて消えていった。煌めく瞳は、再び目蓋の中に隠されて。 僕は思わず、君の身体を抱き締めた。頬に留めさせられている手はそのままにして、片腕を背中に回す。そして君の身体の上に、僕の身体を被せた。頭頂部に顔を埋めて、ぎゅっと身体に力を込める。下で、君の身体が怖がるように震えた。 「キ、ラ…」 「…違う。違うよ…アスラン…僕は、君が居てくれないと、駄目…なんだよ…?」 口を突いて出た言葉は、多分本心だと思う。つん、と鼻の奥に痛みを感じて、あぁ、泣いているんだな、と理解した。指先を動かして何度も頬を撫でながら、片手では強く服を握る。君が、また僕の名前を呼んだ。甘くて、悲しい声だった。切ない響きは耳の奥を、胸の奥を擽って、ちりちりと焦燥を燃やす。 「君のことが、大好き…なんだ…っ」 情けないくらいに声が震えたけど、君は何も言わなかった。ただ僕の名前を呼んで、背中にそろりと腕を回してくる。その温かさにまた涙が零れたけど、それは君の髪に吸い込まれていった。 こんなこと、今更言うことじゃないということぐらいわかってるんだ。でも、君が壊すことを望んだから、誰よりも大切な君が、壊れることを望んだから、僕もそれに荷担するよ。アスラン、守ってきた僕達の今までは、何だったんだろうね。今では、世界の全てが幸せの色に見える。それはきっと君が、また隣に立ってくれたからなんだ。 「僕は、君の傍に居てもいいの…?」 「バカだな…キラは…」 そう言って笑ってくれた君の笑顔は、今までで一番美しいものだった。 駄目だよ、アスラン。僕を揺さ振らないで。この幸福は、決して離したくないから。僕はもう、絶対に間違わないから。 END |
後書き 突発キラアスです。 たまにはキラがいい感じのキラアスも書いてみるべきじゃないか!と思いまして …いかがでしょうか? 続きを書くとしたら裏になります。 初めての両想いキラアスの裏です。 …キラさんに頑張っていただきましょう。 まな 07.09.20 |