ラクスとの面会は一時間程度のものだった。特に目立ったことはなく、要約すればとりあえずこれからもよろしく、という内容だ。後は、イザークの意見を聞きたいという彼女にイザークが自分の考えを話し、アスランの様子を聞かれれば彼は今どうしているかを答えていた。
 地下にある諜報部の部屋までは、何重もの警備体制を抜けていかなければならない。身体のチェックを受けたり、IDカードを使ってロックを解除したりしてようやく、諜報部のあるフロアに入る事が出来るのだ。更には扉の前で警備に配置されているザフト兵に、指紋認証と眼球認証をする様子をチェックされる。全てを難なく慣れた様子で終え、イザークは二時間半ぶりに職場に戻った。
「……どうした」
 だが、室内の空気がいつもよりも張り詰めていることに気付いて、眉間に薄く皺を刻む。珍しく他人のパソコンを覗いていたシホが、こちらに気付いて顔を上げた。
「隊長」
「隊長ではない。部長だ」
 すぐにメイリンの元へ向かい、イザークもパソコンを覗き込む。メイリンが少し身を引いた。
「ディアッカさんからのファイル、時間は掛かりましたが開くことに成功したんです。中身も無事ですよ」
 ゆっくりと画面をスクロールしながら、メイリンが任務の完了をイザークに告げる。
「あぁ……だが、これは」
 液晶に表示されているのは、開かれたファイルの中身のようだった。地球軍内の過激派、要人の名前と細かなプロフィールがずらりと並んでいる。良く見れば下の方には、イザーク達でも知らないような、新人らしき人物達の名前も記されていた。
「現在のメンバー、全員の記録のようですね」
「要人だけでも手に入ったならば良しと思ったが…」
「これで、大分有利に動けますよね」
 いつもと変わらない固い表情のシホとは違い、メイリンは多少なりとも声が弾んでいる。大っぴらに表情には出さないものの、何となく二人が喜んでいるのを感じ取って、イザークは小さく笑った。
「貴様の腕はやはり確かだな。全員のパソコンに送れ。一人残らず憶えてやるさ」
 はい、と張り切って返事をしたメイリンの机から離れて、イザークは自分の机に向かう。椅子を引きながら液晶バーを上に引き上げて、パソコンの電源を入れた。
「今いる奴ら全員聞け。各自己の作業と並行しつつ、今送ったデータを一人も漏らすことなく憶えろ!期限は一日だ。その後にデータは破壊する。今いない奴らにも、必ず伝えろ。いいな!」
「了解しました!」
 全員が立ち上がって敬礼する。ディアッカには暗号化して送り付け、イザークは満足そうに鼻を鳴らした。
 この時、時刻は十六時前。まだ今日の自主訓練を終えていない自分が何時に帰宅出来るのかは、イザーク自身にも分からなかった。

だっそうにきをつけましょう

 膨大な量の記録を頭に詰め込み、イザークが帰宅したのは夜中の十二時を回っていた。帰宅も出来ないかと思っていたが、何とか部内で一番早く過激派メンバーのプロフィール、顔を全て憶えつつ、自分の仕事である暗号の解読を行い、自主訓練を終えて帰って来たのだ。また朝の八時には出勤しなければならないが、あちらにいるよりは疲れが取れ易いということと、アスランの様子が気になったのもあって帰宅する決断に至った。
 軍に支給されているマンションに戻り、カードキーで扉を開けると、家の中は驚くほどにしんとしていた。アスランが来てからというもの、イザークがこんな時間に帰るのは初めてだ。きっと、彼はもう寝てしまったのだろう。玄関でブーツを脱いでから、イザークはまず寝室に向かい、眠っているであろうアスランの姿を確認しようと扉を開けた。不安、というわけではない。ただ、ちゃんと一人で眠ることが出来たのだろうかという心配だ。
「………」
 だが、どちらのベッドにも膨らみは無い。まさか、と思い投げるように鞄を置いて、明かりの点いていないリビングに行った。勢いのままに急いで電気を点け、部屋の中をざっと見渡す。
 リビングに入ってすぐ左側にある、二人掛けのダイニングテーブルの上には何もない。テーブルの奥にあるキッチンも、いつも通り綺麗に片付けられていた。キッチンの右手には、昨夜二人して見たテレビが、壁にかけられたまま静かに佇んでいる。テレビの目の前に敷かれたラグも、その上に置かれているガラスのローテーブルも、アイボリーのソファも今朝と変わらない。違うのは、アスランがいない、ということだけだ。
 一体何処へ、と考えてみても、今のプラントにアスランが当てに出来る人物など、イザークを除けばラクスやメイリンくらいしかいない。家を飛び出して外を探し回りたい気分になったが、早とちりになってしまいそうな気がして押し留まった。
 トイレ、風呂、書斎、もう一度寝室、の順を追って家中を探し回る。それでも見付からず、イザークは業を煮やした。最早家中の電気が点き、時間は十二時半に近付こうとしている。リビングに戻り、リビングからベランダに続くガラス扉を、中途半端に覆っているカーテンを荒々しく開けた。ベランダに出て冷たい外気に触れることで、頭を冷やす為だ。
「……アスラン…」
 手早く鍵を外してベランダの扉を開け、吹き込んできた風に小さく息を吐き出す。冷たい風は苛立ちに熱くなった頬を撫でて、柔らかな銀髪を乱した。
 だが、不意に下の方で何かが動く気配がし、イザークは驚きに身を竦ませる。見下ろした先、イザークから見て右下には、ベランダの壁に背をもたれさせて座り込んでいる、アスランがいた。じっとこちらを見上げてくる瞳は夜目にも光り、いつもよりも鋭い色を宿している。イザークは思わず言葉を無くし、目を見開いてアスランを見つめていた。
 しかしすぐに、半開きになっていた唇を引き結び、きつく拳を握り締める。
「き、貴様…!こんなところで何をしている…!」
「…別に……」
 外気で冷え過ぎたのか赤くなっている頬が、リビングから漏れる明かりに照らされている。素足であるのもかまわずに、イザークはベランダに出た。フローリングよりも冷たいコンクリートの固い感触が足の裏に伝わる。アスランの前にしゃがみ込み、闇に溶け込んでいた身体をきつく抱き締める。
「な、何だよ」
 アスランは身じいろで肩を掴んできたが、イザークには拒否されたとしても腕を離す気など無かった。冷たくなった肩に強く顔を埋め、服の下の熱に吐息を吐き出す。アスランはここにいるのだという、確信が欲しかった。
「……早く寝ろ」
「イザ……」
 きつく抱き締めていた腕をゆっくりと離して、目を合わせないまま立ち上がる。ベランダの扉を開け放したまま、イザークは寝室に行って軍服の上着を脱いだ。白い軍服の裾に、コンクリートと擦れた汚れが付いているのが見えて、眉を顰める。何か言いかけていたアスランが気掛かりだったが、あのままベランダにいては、余計なことまで口走ってしまいそうな気がした。
 イザークは部屋の右側にあるクローゼットに近寄り、金属製の扉を開けて中のハンガーに軍服を掛ける。スラックスも脱いで引っ掛ければ、今日一日の疲れがどっと押し寄せてきた。カシャン、と音を立てて扉を閉め、軍支給インナーの着替えを取って、シャワーを浴びる為に浴室に向かう。トイレの明かりが点いていることを不審に思ったが、すぐにイザーク自身で点けたことを思い出して鼻から息を逃がした。
 アスランはまだ、ベランダにいるのだろう。


 シャワーから出て、濡れた髪もそのままにベッドに潜り込む。夕飯は取っていなかったが、かまわなかった。
 イザークの隣のベッドには、いつのまにかアスランが入って寝息を立てていた。シャワーの間にか、という見当は付いたが、彼の考えていることまでは分からない。
 何故ベランダにいたのか。
 何故こうして生活を共にしているのか。
 何故恋人になったのか。
 アスランがいなくなった、と思った途端に、イザークの中で弾けた気持ちは不安だ。二度の大戦とも敵として戦ったが、いずれもアスランの裏切り、脱走があってのことだった。味方である者、信じている者、そして愛する者に身を翻された胸の痛みを、イザークは決して忘れられない。それでも一緒にいられるのは、信じ抜いた先にあったものが裏切りでは無かったからだ。アスランなりの考えがあるのだ、という気持ちを裏切られたことは、無かった。
「………」
 イザークはアスランがいる方に寝返りを打って、彼の背中を見つめる。なんとなく小さく、頼りなく見えた。

かいぬしのへんかにびんかんです

 朝、頭側にある窓から差し込んで来る淡い光に、はっとして目を覚ます。驚いて時計を見れば、四時五十六分を示していた。後四分もすれば目覚ましが鳴る、というところで勝手に目が覚めたことに、なんとなく勿体無く感じながら身体を起こす。イザークは隣のベッドに視線をやり、寝ているアスランを確認してから目覚まし時計を止めて、先に寝室を後にした。
 まだ、人口太陽の光がプラントを照らす時間では無い。今は夜から朝に変わる転換の時間。暁の光を再現している時だ。
「テレビ、ライト、オン」
 イザークが小さく唇を動かすと、キッチンとリビングの明かりとテレビがついた。今日の天気の予定を流している画面を見ながら、ソファに腰を下ろす。なんとなく今日は仕事に出向く気分では無い。ザークはきつく眉を顰めて、背もたれに身体を預けながら天井を仰いだ。額に手を乗せて、大きく深呼吸をする。
「……イザーク、早いな」
 小さくフローリングが軋む音がする。アスランがリビングに入ってきた。
「…貴様もな。起きられないかと思っていたぞ」
 額から手を下ろし、イザークがアスランを振り返る。冷蔵庫を開けて中を覗いていたアスランが、牛乳パックを持ってこちらを見た。
「もう一週間もここにいるんだぞ?お前の生活パターンは分かっているし、朝起きるのはあいにく得意なんだ」
「ふん……何の為にいるのかは知れんがな」
「………」
 思わず愚痴のように零してしまい、イザークは小さく舌打ちする。あまり詮索をかけないようにしていたというのに、簡単に露見してしまう本音に眉間が狭くなった。
「まあいい…飯にするぞ。昨日は帰りが遅くなって悪かったな」
 立ち上がり、牛乳パックを持ったまま押し黙るアスランの横を抜けて、冷蔵庫横の戸棚から食パンと皿を取り出す。焼くのはまどろっこしいのでそのまま皿の上に乗せて、アスランに向かってお前は焼くのかと問い掛けた。
 だが、イザークに返ってきたのは言葉では無かった。
「ッあぶ…!危ないだろうが‥何してる、貴様」
 どん、と横から思い切りタックルされるように抱き付かれて、イザークの身体が一歩横によろける。肩に顔を埋めるアスランの頭頂部を見つめ、無意識に距離を取ろうとして腕を掴んだ。
 しかし、アスランの両手にきつくインナーを握り締められ、更に身体を寄せられては、イザークにも無理に撥ね除けることは出来なかった。手に持ったパンの袋を置いて、髪の毛をくしゃくしゃと掻き乱す。互いに決定的に足りないものは会話だと気付いているはずなのに、とイザークは思った。だが、昨夜の自分と同様、アスランもこういう方法でしか相手と距離を縮められないと知っている。言いたいことは山ほどあるのに、いざという時には上手く言葉に出来ないのだ。