「…アスラン。……昨日みたいなことは、もうするな」 アスランから視線を逸らし、言い辛そうにイザークは告げる。小さく、アスランが息を吸う音が聞こえて、服を掴んでいる手が少し力を緩めた。 「……いなくなったと、思ったか?」 「………」 「お前以外に、行く場所なんて‥…無いって、知ってるだろ?」 声が、微かに震えている。イザークは目を見開き、がむしゃらに、ただきつく強く、アスランの身体を抱き締め返した。あまりの勢いに、くっと反り返る彼の背中。距離が離れてしまわないように背中を丸めて、イザークは服を強く握り締める。胸を過ぎるのは。 「…アスラン…ッ、何処にも行かなくていい。貴様は俺の傍にいろ!貴様には俺が必要だ。俺が、……っ」 早口に、感情に任せて迸った言葉に、はっとして息を詰める。自分の腕に入っているあまりの力の強さに、イザークは少し慌てた。すぐに腕から力を抜いて、アスランの様子を窺う。 だが、アスランが痛がっている様子は無かった。口走ってしまった言葉に後悔は無いが、顔を見ることが出来なくて固まる。 抱き付いてきた格好のまま腕の中に納まっているアスランが、イザークの服を掴み直した。抱き締め返した際に反り返えらせてしまった背中を直して、肩に顔を埋めている。 「……何か言え、貴様」 絞り出すようにしてイザークが言う。柄にも無く頬が紅潮するのを感じ、眉間に力が入った。 「…お前が言いかけた言葉が…聞きたい」 「っ―――――……」 肩から聞こえるくぐもった声。思わず口を開閉させて、イザークは言いよどむ。 「……聞きたいんだ」 だが、アスランの声が切実なものに変わると、飲み込んだ言葉を呼び戻すように大きく息を吐いた。腕の中の身体が強張り、抱き付いて来ている腕に力が込められる。 青く柔らかな髪に頬を寄せて、目を伏せた。 「‥…俺が、貴様を愛してやる」 確実に届くように、耳元で告げる。存外甘く響いた声と、ふと軽くなった心に、イザークは内心驚いた。アスランの肩と頭に手を移して、宥めるように緩く抱き締め直す。 「……何か言え」 言えと言うから言ったというのに、何も言わないアスランに焦れて問い掛ける。目を開いて髪から頬を離せば、アスランがゆっくりと息を吸う音が聞こえた。 「お前じゃないと、駄目だったんだ。人に依存するなんて、絶対にしないと…思っていたのにっ。お前は、俺の中に強烈な色を残して。忘れるなんて、許してくれなかった」 「当たり前だ。誰が忘れていいと言った」 イザークが眉を寄せて言い返せば、違うそうじゃないんだとアスランは腕の中で首を振る。始めは小さく語っていた声に、徐々に力が込められていく。 「ただの戦友として、いられるだけでも十分だと、思ったんだ。はっきり別れた訳じゃないが、お世辞にも俺達は‥…恋人同士なんて、言えるものじゃなくなっていたから。だが、お前や、ディアッカと話していると、キラ達とは違う……。…余計な気を使わなくていいのか、肩の力が抜けているのに気付いた」 「………」 「……身体に触れられないほど遠くて、たまに顔を見るくらいの関係じゃ、俺は…駄目だったんだ」 ふと、泣きそうな声になったアスランに、イザークはふんと鼻を鳴らす。 「結論を言え」 端的に告げると、肩にずっと顔を埋めていたアスランが顔を上げた。イザークの顔を見つめてくる表情は、先程までの雰囲気とは違い、凛としている。強く光を持つ双眸には、口角を上げるイザークが映っていた。 「…愛してる、イザーク。お前を、愛させてくれないか」 「……仕方がないから、愛させてやる」 そう大差の無い身長差。すぐそばにあるアスランの頬が、イザークの頬に擦り寄せられる。 「……お前が先に愛してやるって言ったじゃないか」 小さく、笑みと共に落とされる呟きに、イザークは眉を寄せた。 「貴様が言わせたんだッ」 ごつりと額を合わせて、ピントの合わない距離で瞳を睨み付ける。抱き締める腕を腰の位置まで落として、自然と力んでいた身体から力を抜いた。 「……そうだったな」 引き寄せられるように目蓋を下ろして、そっと唇を重ね合わせる。自然とわき立つリップ音が耳に届き、イザークは胸が痺れるのを感じた。何年振りかも分からない口付けは、互いに触れ合わせるだけで精一杯だ。気恥かしさも相まって、そう時間を置かずに唇を離す。 「………」 「………」 イザークがゆっくりと目を開けるとちょうど、藍色の睫毛の下から緑色の瞳が姿を現した。頬に感じる熱を誤魔化すように一度息をついて、イザークはアスランを強く抱き締め直す。 「……支度をする。さすがに、遅刻は出来んからな」 「…分かった」 名残を惜しみながら身体を離し、中断していた朝食の用意を始めた。時計を見れば最早六時半。八時に間に合うためには、後一時間も家にはいられない。 だが、二人の間に流れるのは、とても穏やかな時間だった。 おこらせるとおもわぬはんげきをうけます 朝食を済ませて、慌しく朝の準備を進めた。そして、家を出る予定の時刻の七時半に針が差し掛かろうとしていた頃、イザークは玄関でブーツを履くことに成功していた。背後から視線を感じながら立ち上がり、ブーツを履くのを待っていたアスランを振り返る。瞳を見た途端に顔が近寄って、何年振りかに頬に口付けを受けた。 「…行ってらっしゃい」 「……あぁ。行ってくる」 はにかんで言うアスランに、思わず頬を赤らめてイザークが答える。手にはしっかりと鞄を握り、イザークは自宅を後にした。久しく感じていなかった清々しさに、自然と口元が緩む。昨日言い付けた、地球軍の過激派のプロフィールを暗記するという任務は、恐らく全員がこなし終えただろう。何となく、そう思った。 今日はラクスとの面会も無く、いつも通りの役割をこなし終えて、イザークは家路を急いでいた。 任務中、特に問題は起きなかった。ディアッカの地球での任務は順調であるし、オーブ軍の今後の動きについても粗方裏が取れた。その上、部下達はイザークの予感通りに過激派のプロフィールを全て頭に叩き込んで、データも破壊し終えていた。極秘任務中のディアッカでさえも、だ。 だが、休憩中に休憩室のテレビを何とも無しに見ながら、軍支給の昼食を食べていた時、イザークは自分が犯したミスに気が付いた。一昨日買ってきてくれと言われたマイクロペットの組立キットを、買って帰ることをすっかり忘れていたのだ。 テレビに映るのは、色取り取りの鳥達が飛んでいる姿。 買って来てくれと言われた、白い色の、空を飛ぶマイクロペットがイザークの脳裏を過った。 軍からの帰りに、近くの電気屋で手に入れることは出来た。まさかアスランが忘れている訳は無い、とイザークの眉間に皺が寄る。思い出した自分を誉めてほしいほどだが、そんなことは言っていられない。今朝、マイクロペットのことについて何も触れられなかったことが、今となっては気になってしまってしょうがなかった。 「ただいま…」 扉を開き、箱の入った電気屋の袋を手首に下げたまま靴を脱いで、鞄を玄関先に置く。帰宅に気付いたらしいアスランが、リビングから出てきて廊下でイザークを迎えた。 「お帰り、イザーク」 「あぁ、あ…アスラン、これを」 す、と手を差し出して、アスランにビニール袋を渡す。受け取ったアスランは、袋の中を覗き込んで一瞬目を大きくした。思わず眉間に皺を寄せて、イザークは彼の様子を見守る。 「あぁ…買ってきてくれたのか、ありがとう」 顔を上げたアスランが、にっこりとした笑みを浮かべる。 「アスラン、買ってくるのが…」 「すっかり忘れているのかと思って、ほら」 表情を見て小さく息を吐き、謝罪しようとしたイザークを遮って、アスランはリビングの扉を開ける。室内の様子を見て、イザークは言葉を失った。 「…おい、貴様…」 「ん?」 「ん?…ではない!いったい何羽いるんだ!!」 リビングの中では、裕に十羽は超えていそうな数の、鳥型のマイクロペットが飛び回っていた。色も取り取りで、カシャカシャと独特の音を立てて機械鳥が飛んでいる様子は、多少の感慨を覚える。ここが自宅でなければな、と頭の中で付け足して、イザークはアスランを睨み見た。 「…十五羽だと思うよ。一色三羽で、十五羽」 涼しい顔をして答えるアスランに頭痛がして、思わずこめかみを押さえる。 「でも、イザークが白いの買ってきてくれたから、これで十六羽だな」 十五羽もいるのか、と再びリビングの中を眺め回していたイザークの耳に、嬉しげな声が届いた。 「貴様…ここを鳥園にするつもりか…」 「…だって、イザークが忘れていたんじゃないか」 にっこりとした笑みと共に、首を傾げて見せるアスラン。やられた、と思ってももう遅い。怒らせるととんでもない仕返しをしてくるところは、昔も今も変わっていないのだ。 かまいすぎるのはあまりよくありません カシャカシャ、カシャカシャカシャカシャと、機械鳥達が羽を動かす音が部屋に響く中、イザークはアスランが作ったポトフを食べた。落ち着かない夕食を終えれば、そそくさと風呂を済ませに行く。イザークが帰宅するのを待っていたらしいアスランも、彼と共に夕食を終えた。 イザークが帰って来るまでの間に済ませられると思って無かった、と、自分の器用さをアピールするアスランに、イザークは返す言葉も無かった。 何故あのマイクロペットを欲しがったのか、イザークには心当たりがある。キラがいつも肩に乗せている緑の鳥、あれはアスランがプレゼントしたものだと、前に本人から聞いたのだ。それを今更どうするつもりなのかは分からないが、問い詰めても答えは返って来ないだろう。 マイクロペットに関しては、アスランから口を開くまで待とう。そう心に決めて、イザークは湯船の中に肩を浸した。 イザークが湯から上がると、アスランはリビングで精密機械と戦っていた。軽くパッケージを見た限りでは確かにすぐに出来そうな物だったのだが、アスランがテレビの前の机に広げているパーツの中には、明らかにキットには入っていなさそうなチップや、細かい部品が見える。 アスランから視線を外し、イザークはキッチンに入ってグラスに水を注いだ。着ている白いシルクのパジャマに、髪の毛から垂れた水滴が染みを作る。アスランは黒いめの麻のパジャマをいつも着ていたが、今日はまだ外着のままだ。 使ったグラスを流しに置いて、頭に被っているタオルで髪の毛を拭きながらアスランに近寄る。ラグにべた座りしている彼の横に回り、イザークはソファに腰掛けた。 「おい…アスラン。貴様も早く風呂を済ませろ。お湯が冷める」 「……もう少しなんだ。待っててくれ」 テレビでは、最近プラントで人気が出て来ている"お笑い"というジャンルの番組をやっている。イザーク自身はあまり興味無いが、アスランが好きでそれをつけているのは知っていた。勝手に番組を変えると文句を言われる為、そのままにしておく。他に見たい番組があるわけでも無いので、特に支障も無かった。 熱心にロボット鳥を組み立てるアスランの様子は、真剣そのもの。横顔を見れば、鋭い瞳が髪の隙間から覗いて、イザークは口角を上げる。久々に見る表情は、昔と何ら変わっていなかった。勝負事をする時と同じ顔をしている。 大人しく待つことに決めたものの、任務の疲れと風呂に入ったことで温まった身体に、眠気が襲って来るのを感じていた。相変わらず機械鳥の羽音はイザークの耳を煩わせたが、体のいい子守唄のように感じてくるまでに、そう時間は掛からなかった。 → |