睡蓮


まずはかわいがってきにいってもらいましょう

 足の間にすっぽりと納まる身体を抱き締めて、イザークはアスランの後頭部を見つめた。背中をイザークの胸に預ける感覚が気に入ったらしく、アスランは大人しくクッションを抱いてテレビの画面を見ている。珍しい、と思ったが口には出さずに、イザークはソファに背中をもたれさせてラグに片手をついた。ソファがあるというのに、腰掛けずにラグに座るのはよくあることで、アスランもさして気に止めてはいない。

とてもきちょうで、めったにてにはいりません

 それよりもイザークが気になっているは、この珍獣が自分と暮らすことになった経緯だ。
 突然、キラ・ヤマトとかいう奴から、直接イザークの元へ通信が入り、アスランをそっちへ寄越すから面倒を見てくれと言われたのだ。もう一週間以上も前のことだが、イザークには未だに納得がいかない部分が多々あった。
 確かに、ユニウス戦役以前から、アスランとイザークには肉体的な関係があった。血のバレンタイン戦争中に、二人は互いの想いを交わしたのだ。傍から見れば、恋人同士という分類にはなったものの、戦争の経緯上あまり一緒にいられる機会もなかった。そのまま一年半が過ぎ、ユニウス戦役に突入してメサイア攻防戦を迎えた。戦争が終結してからも、事後処理に追われてお互いに忙しかった為、月に一度か二度通信を繋げて、今の近況を話す程度の関係になっていたはずだった。
 何よりも、アスランとイザークの関係を、面には出さないが嫌っていたのはキラ自身で。アスランを挟んで向けられる視線に、何度睨み返したのかはイザークにも分からない。
 だが、今も恋情があるのかと問われれば、上手く言葉を返す事は出来なかった。
 想いが中途半端に胸を浮遊する感覚は気持ちの悪いもので、自分らしくないとイザークは小さく吐息を漏らす。

かわったものにきょうみをもちます

「イザーク」
 突然声を発した腕の中の人物に視線を向けて、イザークは薄く眉を寄せる。思考を読まれたのかと思い息を止めたが、アスランが指を指したテレビ画面には何かの小型ロボットの組立キットが映っていて、眉間には更に皺が寄ることになった。
「…何だ」
「明日は仕事に出るんだろ?いつでもいいから、行ける時にショップへ行って、あれを買ってきてくれないか。この辺りには売ってないだろうから」
 短いコマーシャルによれば、そのロボットは空が飛べるらしい。カラーバリエーションは白赤黄青緑の五色。どれも派手な色味になっている。誰にでも作れるお手軽キットで、対象年齢は五歳以上だった。
 思考にはまり過ぎて、今まで何の番組をやっていたのか全く思い出せずに、イザークはそのアスランの言葉に思い切り息を吐く。
「貴様…あれを俺に買ってこいというのか!?」
「お金は後でちゃんと渡すし、問題ないだろう?白がいい」
 アスランは顎を上げて後ろを振り返り、イザークの顔を見ようとしてくる。何がいけないのか、と言いたげな瞳が見えた瞬間にアスランの顔を掌で押し返して、イザークは声を漏らした。
「…分かった。分かったから、破裂だけはさせるなよ」
 不満そうに眉を寄せながらも前を向いたアスランの髪をくしゃりと撫でて、ソファに肘をかけながらテレビに視線を戻す。次の番組は報道系で、ラクス・クラインの行政についてがトピック記事で流れていた。
 明日、イザークが面会する予定の相手だ。軍人という立場上当然だが、イザークはアスランに仕事の内容を明かしていない。もちろんアスランも聞いてはこないし、オーブでの任務をイザークに告げてきたりもしていなかった。
「…もう寝よう。明日は何がいい?」
 すっ、と腕の中から外れて立ち上がったアスランを追って、イザークも立ち上がる。先にリビングから出て廊下に向かうアスランの背中を見ていると、どうとも言えない気持ちが湧き上がってきた。
「テレビ、オフ」
 ラグから出た途端足の裏に触れた、ひやりとしているフローリングの温度に眉を寄せる。キッチンとリビングの明かりも消して、廊下とリビングを隔てる扉は開けたまま寝室に行った。
「ダージリンにしろ」
 アスランに続いて寝室に入りながら、ベッドに潜り込もうとしている彼に向って告げた。イザークは隣のベッドに入って、早々に部屋の電気を消して眠りの態勢に入る。
 アスランがこちらに来ることになってから、急遽用意したベッドをアスランは使っている。一緒のベッドで、とは、どうしても成り得なかった。

さびしがらせてはいけません

 アスランがイザークの元で暮らし始めて、一週間と五日目。今日のイザークには、現プラント最高評議会議長ラクス・クラインと面会する予定が入っていた。もちろんその前後にも、やる仕事は色々とある。情勢は落ち着いたが、地球軍の動きは気を付けておかねばならないのだ。ラクスの意思により、新たなモビルスーツの開発は表立って行われていない。オーブもそうだ。
 だが、地球軍の内部に何かよからぬことを考えている者がいてはやっかいだった。中には色々な考えを持つ者がいるのだから、当然一番上に立つ者の言う事を聞かない者もいる。それは何時の時代でも、何処の国でも変わらない。プラントやオーブにも、戦争派というのは存在する。
 諜報活動はもちろん禁止されているが、やらないことにはしょうがない。というのはラクスの意向で、現在もイザークの部下であるディアッカが、地球に赴くことも多々あった。イザークが隊長として率いていたジュール隊は解かれ、イザークや部下達は諜報部員として活躍している。再び戦火が灯る時には、ジュール隊として復活し、ヤキンドゥーエを中心としてプラントの要となり、ラクスに手を貸すことになっていた。その為に、世間的には非公式なジュール隊隊員達は、厳しい隊長の教えによって、一日に二時間自主訓練をすることを義務付けられている。もちろん、イザーク自身もこなすメニューだ。
 今、モビルスーツが使われるのは、プラント周辺の防備のみに留まっている。地球では、地震があった地域での瓦礫除去作業や、プラント同様に国の防備に使われていた。イザークやアスランが自分の意志で入学し、卒業した軍事学校は、その年に十九歳を迎える男子が必ず一年間通う学校として今も機能している。志願者を募る形から、徴兵制へと移行したのだ。
 コトン、と小さく上がった音に顔を上げて、イザークは机に置かれた缶珈琲から手を離すシホを見遣る。明かりが彼女によって遮られ、机に影を落としていた。
 部屋の四方を囲む白い壁には何一つ貼られておらず、蛍光灯は明るく室内を照らしている。唯一存在している、この部屋と外の世界を繋ぐ扉は厳重にロックされ、廊下側の扉にはイザークが信頼の置ける警備兵が二人付けられていた。窓や通気口は存在しない。酸素管理は、空調機能を整えたエアコンが行っていた。
 イザーク達の職務は諜報なので当然だが、一人の机の上に一台はパソコンが置かれている。有能なハッカーとして買われている者の机には、三台ある場合もあった。現在パソコンが稼働していないのはディアッカの机のみで、黒いキーボードが埃避けカバーに覆われている。
 諜報部員はイザークやディアッカを含めて八人。血のバレンタイン戦争時に発足したジュール隊の初期メンバー六人に、ディアッカとメイリンが加わっている。
 ユニウス戦役中、メイリンはアークエンジェル側へ身を翻した。当然、戦後には脱走兵として裁判に掛けられたものの、彼女はラクスの計らいによって罪を逃れたのだ。そしてイザークは、血のバレンタイン戦争後のディアッカと同様に、ジュール隊の一員としてメイリンの身柄を引き取って、自分の監視下に置いている。彼女の命を守るには、一番安全な策だと知っているからだ。
 部長の立場であるイザークの机は、部屋の中を全て見渡せる位置に置かれている。他の七人の机は、イザークの机の目の前の少し離れた位置に、二列に並べられていた。右側に三つ、左側に四つ。左右の列が向かい合うように引っ付けられて、横並びに並べられた彼らの机の間は、前も左右も白い板で仕切られ、互いの顔が見えないようになっている。板に覆われていないのはイザークの机だけだ。
 カタカタと素早くキーボードを叩く音は、常に途切れること無く聞こえている。何かの通信を盗聴している者や衛星で地球の動きを観察している者、今正にセキュリティを突破しようとしている者もいる。今室内にいない二人は、イザークの教えを守るべく、息抜きも兼ねて自主訓練に励んでいることだろう。
「悪いな」
「いえ」
 短く言葉を交わして机に戻る彼女からパソコンの画面に視線を戻して、メールを開こうとして動きを中断された右手の人差し指でマウスをクリックする。開かれたメールを見た瞬間、イザークは常に眉間に刻まれている皺を更に深くした。二日前から地球に降り、地球軍の過激派と呼ばれる者達のアジトへ潜入しているディアッカから、定期連絡が届いたはずだったのだが。今回彼は、白い肌に茶色い髪と緑の目を持つ青年に化けて、正体を隠しているらしい。なりきっている様子が、わざわざ諜報用のカメラで撮影されてイザークのパソコンに送り付けられてきていた。
「ッ……仕事をせんかこの阿呆がぁあああああ!!!」
 思わず声を張り上げるとびりびりと空気が震え、同じ部屋の中で他の作業に就いていた部下達は何事かと立ち上がったが、イザークは一切無視してパソコンの画面をスクロールする。画面いっぱいに映し出されていたディアッカの元気な様子が上の方に消え、新たに画面に表示されたのは何かのファイルだった。
 イザークの怒声に思わず立ち上がった部下達も、少しざわめいた後に腰を落ち着かせて任務に戻る。
「…何……?」
 添えられた暗文によれば、中身は分からないが何重にもロックがされていてこちらでは開封するのに時間が掛かり過ぎる為、そちらで何とかしてくれとのことだ。こういう内容だけ送ってくればいいのにあの馬鹿は、と内心毒づく。
 ちらりとパソコン内臓の時計を見れば、後一時間でラクスとの面会の時間であることを示していた。もうそろそろ、場所を移動しなければ間に合わない。
「……メイリン・ホーク」
 イザークから見て左側の一番前に座り、白い板の向こうで任務を全うしているであろう少女の名前を呼ぶ。
「あ、はい!」
 すぐに気付いたメイリンが、身体を背もたれに思い切りもたれさせながら、白い板の向こうから顔を出した。
「今手が空いているなら、これを頼む。中身は何か分からんが、データを壊さないようにな」
 言いながらファイルをメイリンのパソコンに向けて送信し、イザークは自分のパソコンの電源を落とす。諜報部員同士のパソコンは独自の回線で繋がっている為、外からの影響を一切受けない仕組みになっている。ハッキングが特に困難な、それこそ数人でかからなければいけないような相手である場合には、独自の回線を駆使して情報を共有しながら取り掛かることが出来るのだ。
 カシャン、と音を立てて液晶バーを下ろし、イザークは缶珈琲を持って立ち上がる。
「分かりました」
 頷いて見せる彼女にふと笑みを浮かべ、シホに向かって後は頼むぞと声を掛けてから部屋を出た。